2009.01.11 Sunday
『永遠のこどもたち』『ブラインドネス』鑑賞
本日は歯医者行った後、久しぶりに映画をハシゴ。
『永遠のこどもたち』公式サイト
ゴシックホラーを今に 映画「永遠のこどもたち」監督語る
1本目はヒューマントラストシネマ渋谷で、『ミミック』のギレルモ・デル・トロ製作、J・A・バヨナ監督の『永遠のこどもたち』。五人の仲間を残して孤児院から新しい家に引き取られていったラウラが成長し、夫カルロス、HIV陽性の養子シモンと共に既に潰れた孤児院を買い取り、身障者用ホームを始めようとする。しかしシモンは見えない子供達との遊びに夢中となり、その周囲を謎の老女ベニグナが徘徊する。漸くホーム開園の日、マスクで仮装した出席者達の一人、怪しい麻袋を被った子供によってラウラは浴室に閉じ込められ、その間にシモンが行方をくらましてまう。最後にシモンが見えない子供と話していた海岸の洞窟で謎の子供の人影を見るラウラ。警察の捜査も空しくシモンは行方不明。そしてようやく探し当てたベニグナも交通事故死。万策尽きたラウラは、精神科医と霊媒師を自宅に招き、謎の解明に乗り出すが……。
でー、ネタバレすると、ラウラは知らなかったけれど、孤児院にはベニグナが勤めていて、その息子で顔が醜く崩れて麻袋を被っているトマスが地下室で生活していた。しかし残った五人がトマスを苛め、海岸の洞窟でマスクを取り上げて外に出て来られるか試して、トマスはそのまま溺死してしまう。その復讐として、ベニグナは五人の子供を毒殺。霊媒師の降霊からその事実を知り、物置の焼却炉からかつて遊んでいた子供達の白骨死体が発見される。この家を出て行こうと主張する夫に二日の猶予を貰ったラウラは、30年前と同じように家を改装、かつて仲間と遊んでいたダルマさんが転んだでトマスの部屋を探し当て、そこに眠っていたシモンを取り戻す。しかし現実の時間に戻った時、そこに転がっていたのはシモンの半分ミイラ化した死体だった。絶望したラウラは薬を飲んで自殺。それにより彼女はシモンや他の6人の子供達と共に、霊となってこの家で住み続ける事を選択する……。翌日無人の家を訪れたカルロスは、全てを悟って頷くのだった。
という訳で、映画自体は『アザーズ』やら『地下室の魔物』辺りをどうしても思い浮かべてしまうのだけれど、何とも中途半端な作品。『たたり』『回転』のような秀作ゴシックホラーのような風格もあるのだが、かと思うとベニグナの死体やらトマスの顔やら、けっこうゴアな描写が散見。所々恐怖演出で冴えを見せる部分もあるのだが、洋物『リング』やら『仄暗い水の底から』やらみたいな感じで、また子供を思う母親の物語が核となっていて、食傷気味のお話にもううんざり。『ピーターパン』のいつまでもネバーランドにはいられないウェンディの話やら、霊媒師が助けを乞うラウラに「母親としてどこまでシモンの事を思ってやれるかにかかっている」という言葉やら、色々と伏線が張られていてそつの無い構成に加え、ちょっと捻った結末というか落とし所には感心するが、全般的に中途半端なぬるさがあるのが残念。シモン探しをしようとすると霊がゲームを仕掛けてきて、「このアイテムのある所はどこ」という感じにラウラが延々屋敷内をお使いさせられる展開は、RPGっぽくて笑ってしまいましたが。
んでBOOK OFFのセールなぞを覗いた後に、20時半から渋谷シネマパレスで『ブラインドネス』。
『ブラインドネス』公式サイト
伊勢谷友介が運転中に突然視界がホワイトアウトして失明。妻の木村佳乃に連れられて眼科医のマーク・ラファロの元に行くが、原因不明。そして突然盲目となる症状は伝染していき、政府は感染者を旧精神病院跡に隔離する。収容所には様々な老若男女が狩り集められて収容され、マークの身を案じた妻のジュリアン・ムーアも盲目の振りをして共に入所する。盲目病は原因不明のまま拡大し政府機能は麻痺。そして収容所には感染を恐れて軍隊が患者を追い立てるのみで患者の世話をする者が無く、内部は患者同士が世話をし合う。医療品も食糧も不足したまま、ジュリアンは(盲人の振りをしながら)懸命に周囲の面倒を見るが、収容所内は糞尿とゴミが散乱する状態となっていく。そんな中、元からの盲人を抱える第三号室が食糧を独占。金品を要求した一週間後、今度は女を要求してくる。生きる為に屈した女達の一人が虐待され、殺害される。翌日二号室の女達が呼び出され乱交の部屋と化した三号室にジュリアンが忍び込み、ボスを殺害。一号室と二号室は三号室との全面戦争に備えるが、受付の老女が単身三号室に向かって放火。あっけなく収容所は崩壊し、先日車泥棒を射殺した際に返り血を浴びたのが災いしたか、監視の兵士もいなくなっており、ジュリアン達は外に出る。文明が崩壊し盲人達が食糧を奪い合う無法の街に戻って来たジュリアン達は漸く人間らしい生活に戻り、彼らの中に新しい連帯感が生まれる。翌朝、きっかけとなった伊勢谷の視力が回復する。そしてそれは、また人類の視力が回復する希望の予兆であった。
という訳で『人類SOS』の導入部を延々と拡大した印象の強い本作。よくも2時間にまとめたと誉めるべきなのか、発端から何とも人を焦燥感に駆らせる雰囲気のままスムーズに話が進む。なんぼなんでも医師の一人もいない患者収容所なんて……とも思うが、最近の派遣村へのバッシングとか見ていると、存外そんなものかもしれませんな。『容疑者Xの献身』みたいに、ホームレス殺して反省ない悲劇の主人公の映画なんてあるし。こんな感じで様々な社会構造の隠喩や皮肉が込められている感が強いし、逆にただ一人目が見えるジュリアンが暴虐の限りを尽くす方が自然な気もするが、それはさておき。ちとヨゴレの描写が足りない感も強いが(乱交シーンは暗く画面全体にエフェクトがかけられている)、非人間的な環境に置かれた人間達の描写はまずまずか。惜しむらくは女房に依存している自分が嫌になって浮気に走るマークとか、悪事に荷担しながらもちょいと良心がうずくネイティブ盲人とか、ちょっとドラマ的な要素のあるキャラクター達がさらりと流されてしまっていて、総花的になっている点。この点、第三号室との戦いで対立の構造と共にもう少し深く掘り下げれば、極限状況に追い込まれた人間達が口から唾飛ばして罵り合うようなドラマ展開にできたのではないかと思うのだが、その辺を省いてはね。あれだけ(おそらく40人ぐらい)いた患者達を放置して、ジュリアンは数人しか連れて行かず、しかも途中で最後尾の黒人青年がはぐれてもそのまま気づかないなど、けっこう凶悪な部分はギャグなのか、何かの意図があったのかは微妙なところ(スーパーで食糧を持ち出す時に追いすがる盲人達を容赦なく追い払う様といい、けっこうテンパってるとは思うのだが)。この辺は、教会のキリスト像に目隠しがされているとか、色々と消化不良な部分が多し。ラストの唐突な解決も、後味は悪くないのだが、意味不明というか安直で、先に見た『永遠のこどもたち』、以前見た『28日後...』『アイ・アム・レジェンド』のようなぶつ切りのような安直さを感じざるを得ない。なんか小さくまとまってるんですな。
『永遠のこどもたち』公式サイト
ゴシックホラーを今に 映画「永遠のこどもたち」監督語る
1本目はヒューマントラストシネマ渋谷で、『ミミック』のギレルモ・デル・トロ製作、J・A・バヨナ監督の『永遠のこどもたち』。五人の仲間を残して孤児院から新しい家に引き取られていったラウラが成長し、夫カルロス、HIV陽性の養子シモンと共に既に潰れた孤児院を買い取り、身障者用ホームを始めようとする。しかしシモンは見えない子供達との遊びに夢中となり、その周囲を謎の老女ベニグナが徘徊する。漸くホーム開園の日、マスクで仮装した出席者達の一人、怪しい麻袋を被った子供によってラウラは浴室に閉じ込められ、その間にシモンが行方をくらましてまう。最後にシモンが見えない子供と話していた海岸の洞窟で謎の子供の人影を見るラウラ。警察の捜査も空しくシモンは行方不明。そしてようやく探し当てたベニグナも交通事故死。万策尽きたラウラは、精神科医と霊媒師を自宅に招き、謎の解明に乗り出すが……。
でー、ネタバレすると、ラウラは知らなかったけれど、孤児院にはベニグナが勤めていて、その息子で顔が醜く崩れて麻袋を被っているトマスが地下室で生活していた。しかし残った五人がトマスを苛め、海岸の洞窟でマスクを取り上げて外に出て来られるか試して、トマスはそのまま溺死してしまう。その復讐として、ベニグナは五人の子供を毒殺。霊媒師の降霊からその事実を知り、物置の焼却炉からかつて遊んでいた子供達の白骨死体が発見される。この家を出て行こうと主張する夫に二日の猶予を貰ったラウラは、30年前と同じように家を改装、かつて仲間と遊んでいたダルマさんが転んだでトマスの部屋を探し当て、そこに眠っていたシモンを取り戻す。しかし現実の時間に戻った時、そこに転がっていたのはシモンの半分ミイラ化した死体だった。絶望したラウラは薬を飲んで自殺。それにより彼女はシモンや他の6人の子供達と共に、霊となってこの家で住み続ける事を選択する……。翌日無人の家を訪れたカルロスは、全てを悟って頷くのだった。
という訳で、映画自体は『アザーズ』やら『地下室の魔物』辺りをどうしても思い浮かべてしまうのだけれど、何とも中途半端な作品。『たたり』『回転』のような秀作ゴシックホラーのような風格もあるのだが、かと思うとベニグナの死体やらトマスの顔やら、けっこうゴアな描写が散見。所々恐怖演出で冴えを見せる部分もあるのだが、洋物『リング』やら『仄暗い水の底から』やらみたいな感じで、また子供を思う母親の物語が核となっていて、食傷気味のお話にもううんざり。『ピーターパン』のいつまでもネバーランドにはいられないウェンディの話やら、霊媒師が助けを乞うラウラに「母親としてどこまでシモンの事を思ってやれるかにかかっている」という言葉やら、色々と伏線が張られていてそつの無い構成に加え、ちょっと捻った結末というか落とし所には感心するが、全般的に中途半端なぬるさがあるのが残念。シモン探しをしようとすると霊がゲームを仕掛けてきて、「このアイテムのある所はどこ」という感じにラウラが延々屋敷内をお使いさせられる展開は、RPGっぽくて笑ってしまいましたが。
んでBOOK OFFのセールなぞを覗いた後に、20時半から渋谷シネマパレスで『ブラインドネス』。
『ブラインドネス』公式サイト
伊勢谷友介が運転中に突然視界がホワイトアウトして失明。妻の木村佳乃に連れられて眼科医のマーク・ラファロの元に行くが、原因不明。そして突然盲目となる症状は伝染していき、政府は感染者を旧精神病院跡に隔離する。収容所には様々な老若男女が狩り集められて収容され、マークの身を案じた妻のジュリアン・ムーアも盲目の振りをして共に入所する。盲目病は原因不明のまま拡大し政府機能は麻痺。そして収容所には感染を恐れて軍隊が患者を追い立てるのみで患者の世話をする者が無く、内部は患者同士が世話をし合う。医療品も食糧も不足したまま、ジュリアンは(盲人の振りをしながら)懸命に周囲の面倒を見るが、収容所内は糞尿とゴミが散乱する状態となっていく。そんな中、元からの盲人を抱える第三号室が食糧を独占。金品を要求した一週間後、今度は女を要求してくる。生きる為に屈した女達の一人が虐待され、殺害される。翌日二号室の女達が呼び出され乱交の部屋と化した三号室にジュリアンが忍び込み、ボスを殺害。一号室と二号室は三号室との全面戦争に備えるが、受付の老女が単身三号室に向かって放火。あっけなく収容所は崩壊し、先日車泥棒を射殺した際に返り血を浴びたのが災いしたか、監視の兵士もいなくなっており、ジュリアン達は外に出る。文明が崩壊し盲人達が食糧を奪い合う無法の街に戻って来たジュリアン達は漸く人間らしい生活に戻り、彼らの中に新しい連帯感が生まれる。翌朝、きっかけとなった伊勢谷の視力が回復する。そしてそれは、また人類の視力が回復する希望の予兆であった。
という訳で『人類SOS』の導入部を延々と拡大した印象の強い本作。よくも2時間にまとめたと誉めるべきなのか、発端から何とも人を焦燥感に駆らせる雰囲気のままスムーズに話が進む。なんぼなんでも医師の一人もいない患者収容所なんて……とも思うが、最近の派遣村へのバッシングとか見ていると、存外そんなものかもしれませんな。『容疑者Xの献身』みたいに、ホームレス殺して反省ない悲劇の主人公の映画なんてあるし。こんな感じで様々な社会構造の隠喩や皮肉が込められている感が強いし、逆にただ一人目が見えるジュリアンが暴虐の限りを尽くす方が自然な気もするが、それはさておき。ちとヨゴレの描写が足りない感も強いが(乱交シーンは暗く画面全体にエフェクトがかけられている)、非人間的な環境に置かれた人間達の描写はまずまずか。惜しむらくは女房に依存している自分が嫌になって浮気に走るマークとか、悪事に荷担しながらもちょいと良心がうずくネイティブ盲人とか、ちょっとドラマ的な要素のあるキャラクター達がさらりと流されてしまっていて、総花的になっている点。この点、第三号室との戦いで対立の構造と共にもう少し深く掘り下げれば、極限状況に追い込まれた人間達が口から唾飛ばして罵り合うようなドラマ展開にできたのではないかと思うのだが、その辺を省いてはね。あれだけ(おそらく40人ぐらい)いた患者達を放置して、ジュリアンは数人しか連れて行かず、しかも途中で最後尾の黒人青年がはぐれてもそのまま気づかないなど、けっこう凶悪な部分はギャグなのか、何かの意図があったのかは微妙なところ(スーパーで食糧を持ち出す時に追いすがる盲人達を容赦なく追い払う様といい、けっこうテンパってるとは思うのだが)。この辺は、教会のキリスト像に目隠しがされているとか、色々と消化不良な部分が多し。ラストの唐突な解決も、後味は悪くないのだが、意味不明というか安直で、先に見た『永遠のこどもたち』、以前見た『28日後...』『アイ・アム・レジェンド』のようなぶつ切りのような安直さを感じざるを得ない。なんか小さくまとまってるんですな。