2015.07.01 Wednesday
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』鑑賞
公式サイト
以下、ネタバレしまくりです。
殺された妻子の記憶に苛まされながら荒野をさまようマックスは、イモータン・ジョーの手下に襲撃され、砦に連行される。ジョーは水を独占し、神話で部下をマインドコントロールし、強力な階層社会を築いていた。放射能によって汚染された世界では奇形児が大量に生まれ、マックスは「輸血袋」として使い捨てられることになった。そんな中、フュリオサ大隊長率いる部隊が近隣の自治体に向かうと見せかけて、ジョーの五人の妻達を連れ出し、「緑の地」へと逃亡する。妻達の孕んだ子供達を取り返す為に、ジョーは全軍団を率いて出撃、マックスは武装集団の一人で汚染され余命の少ないニュークスに「輸血袋」として連れ出される。闘争を経て、五人妻の一人を失いながら、マックス、そしてニュークスはフュリオサ達と合流して、彼女の故郷・緑の地へと辿り着く。しかしそこも放射能汚染によって、老婆達が残るだけの不毛の地となっていた。なおもその先、塩の海の先を目指そうとするフュリオサ達を説得し、マックスは岩の谷を塞いでジョー達を遮断し、ジョーの砦に戻りそこを奪って暮らす事を提案する。闘争でニュークス達仲間を失いつつもジョー親子と幹部達を倒し、マックス達は砦に帰還する。ジョーの死体を見て圧政から解放される砦。そして新たなリーダーとして歓呼を浴びるフュリオサに、マックスは背を向けて去って行くのだった。
今回のポイントは、争奪戦の対象が石油や水でなく、人になった点ですな。という訳で、観ていると、水の争奪戦となった『マッドライダー』、子供を産める健康な女性の争奪戦となった『ニューヨーク2019年』といったマッドマックス・エピゴーネンの影が本家シリーズに戻って来るという展開に、二番煎じマカロニSF好きの俺は大喜び。フュリオサの片腕がサイボーグ義手なんて『マッドライダー』の子役にあった設定だし、バイクがタンクローリーの上を飛ぶシーンとかまんま『バトルトラック』だし、ジョーが着込むアクリルの透明プロテクターなんて『カー・バイオレンス』の主人公だし、マックスが逃げようと鎖でつながれたニュークスの腕を切ろうとしするシーンは『1』、ラストにフュリオサが片目をつぶったまま立ち尽くすシーンは『2』のラストまんまだし、インターセプターは『2』よりもひどい扱いだし、俺的にベスト改造カーである人質を前面に吊った車をフィーチャーした車にマックスが吊られているとか、色々と心憎いフィーチャーが満載である(作り手がどこまで意識しているかは知らないが)。特に冒頭のジョーの砦内、物品として扱われる人体と機械の一部と化した奴隷、放射能汚染による障害が恒常化してパーツ取りの人体処理場等の描写は、まんま実写版石川賢『神州纐纈城』であり、狂いまくっている。
とはいえ、ならばそれで面白いかというと、確かに走り続ける演出で飽きは来ないが、俺的には大して面白くなかった。全体的に赤みのかかった色調で統一された美術もさることながら、『1』の転倒した男の後頭部にバイクが突っ込んで来るとか、『2』で車から放り出された暴走族が回転しながら宙を飛んで行くとかの派手な描写に欠け、炎を噴き出すギターとドラムで演奏しているだけの車の描写は堪らんが、音楽が地味というか無いに等しく、血沸き肉躍る活劇というか、娯楽映画としての華に欠けているのである。『2』のクライマックスの発展系を期待していた身としては、何か前置きだけで終わってしまったような印象しか残らなかった。
正直ジョージ・ミラーも老いたかと思う失望感はあるものの、その分物語の骨子が太くなっていたのは評価できる。物扱いされている女性が(五人妻の存在意義は健康な子供を産める健康な肉体の美しい女性であり、彼女らは貞操帯をはめられて産む機械として密室に監禁されており、奪還に来たジョーは彼女達でなく彼女達の中にいる胎児しか気にしていない)、フュリオサと共に自由の奪還の為に戦うという物語は、芯が通っている。ニヒリズムというかマッドなマックスは、あくまで添え物、手助けをする脇役扱いである。
しかし一番興味深いのは、ジョーの砦の社会構造ではないか。自身の血筋と子供を残す事が最大の目的となっているトップに、経済的合理性ばかり怒鳴っている男爵、死の商人を兼ねた将軍がヒエラルキーの頂点に立ち、資源と武力で下層民を掌握し、若者には英雄の霊を引き合いに出してマインドコントロールを行って(ヒロポン入り水盃ではないけれど)麻薬を与えて、自らの命を自主的に投げ出す事を讃え推奨しているという、何やらどこかで見たような、これから復活する気満々の自由と民主主義の無い国家の体制を凝縮している。そういう意味では『3』的な感じがしないでもないが、本作は巷間の評価とは正反対に、カーアクションとしては凡作、しかし内包するドラマ的要素は実に現代的で充実した、骨太な作品であった。
↓なかなか面白かったジョージ・ミラー監督インタビュー
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2015/06/post_897.html
以下、ネタバレしまくりです。
殺された妻子の記憶に苛まされながら荒野をさまようマックスは、イモータン・ジョーの手下に襲撃され、砦に連行される。ジョーは水を独占し、神話で部下をマインドコントロールし、強力な階層社会を築いていた。放射能によって汚染された世界では奇形児が大量に生まれ、マックスは「輸血袋」として使い捨てられることになった。そんな中、フュリオサ大隊長率いる部隊が近隣の自治体に向かうと見せかけて、ジョーの五人の妻達を連れ出し、「緑の地」へと逃亡する。妻達の孕んだ子供達を取り返す為に、ジョーは全軍団を率いて出撃、マックスは武装集団の一人で汚染され余命の少ないニュークスに「輸血袋」として連れ出される。闘争を経て、五人妻の一人を失いながら、マックス、そしてニュークスはフュリオサ達と合流して、彼女の故郷・緑の地へと辿り着く。しかしそこも放射能汚染によって、老婆達が残るだけの不毛の地となっていた。なおもその先、塩の海の先を目指そうとするフュリオサ達を説得し、マックスは岩の谷を塞いでジョー達を遮断し、ジョーの砦に戻りそこを奪って暮らす事を提案する。闘争でニュークス達仲間を失いつつもジョー親子と幹部達を倒し、マックス達は砦に帰還する。ジョーの死体を見て圧政から解放される砦。そして新たなリーダーとして歓呼を浴びるフュリオサに、マックスは背を向けて去って行くのだった。
今回のポイントは、争奪戦の対象が石油や水でなく、人になった点ですな。という訳で、観ていると、水の争奪戦となった『マッドライダー』、子供を産める健康な女性の争奪戦となった『ニューヨーク2019年』といったマッドマックス・エピゴーネンの影が本家シリーズに戻って来るという展開に、二番煎じマカロニSF好きの俺は大喜び。フュリオサの片腕がサイボーグ義手なんて『マッドライダー』の子役にあった設定だし、バイクがタンクローリーの上を飛ぶシーンとかまんま『バトルトラック』だし、ジョーが着込むアクリルの透明プロテクターなんて『カー・バイオレンス』の主人公だし、マックスが逃げようと鎖でつながれたニュークスの腕を切ろうとしするシーンは『1』、ラストにフュリオサが片目をつぶったまま立ち尽くすシーンは『2』のラストまんまだし、インターセプターは『2』よりもひどい扱いだし、俺的にベスト改造カーである人質を前面に吊った車をフィーチャーした車にマックスが吊られているとか、色々と心憎いフィーチャーが満載である(作り手がどこまで意識しているかは知らないが)。特に冒頭のジョーの砦内、物品として扱われる人体と機械の一部と化した奴隷、放射能汚染による障害が恒常化してパーツ取りの人体処理場等の描写は、まんま実写版石川賢『神州纐纈城』であり、狂いまくっている。
とはいえ、ならばそれで面白いかというと、確かに走り続ける演出で飽きは来ないが、俺的には大して面白くなかった。全体的に赤みのかかった色調で統一された美術もさることながら、『1』の転倒した男の後頭部にバイクが突っ込んで来るとか、『2』で車から放り出された暴走族が回転しながら宙を飛んで行くとかの派手な描写に欠け、炎を噴き出すギターとドラムで演奏しているだけの車の描写は堪らんが、音楽が地味というか無いに等しく、血沸き肉躍る活劇というか、娯楽映画としての華に欠けているのである。『2』のクライマックスの発展系を期待していた身としては、何か前置きだけで終わってしまったような印象しか残らなかった。
正直ジョージ・ミラーも老いたかと思う失望感はあるものの、その分物語の骨子が太くなっていたのは評価できる。物扱いされている女性が(五人妻の存在意義は健康な子供を産める健康な肉体の美しい女性であり、彼女らは貞操帯をはめられて産む機械として密室に監禁されており、奪還に来たジョーは彼女達でなく彼女達の中にいる胎児しか気にしていない)、フュリオサと共に自由の奪還の為に戦うという物語は、芯が通っている。ニヒリズムというかマッドなマックスは、あくまで添え物、手助けをする脇役扱いである。
しかし一番興味深いのは、ジョーの砦の社会構造ではないか。自身の血筋と子供を残す事が最大の目的となっているトップに、経済的合理性ばかり怒鳴っている男爵、死の商人を兼ねた将軍がヒエラルキーの頂点に立ち、資源と武力で下層民を掌握し、若者には英雄の霊を引き合いに出してマインドコントロールを行って(ヒロポン入り水盃ではないけれど)麻薬を与えて、自らの命を自主的に投げ出す事を讃え推奨しているという、何やらどこかで見たような、これから復活する気満々の自由と民主主義の無い国家の体制を凝縮している。そういう意味では『3』的な感じがしないでもないが、本作は巷間の評価とは正反対に、カーアクションとしては凡作、しかし内包するドラマ的要素は実に現代的で充実した、骨太な作品であった。
↓なかなか面白かったジョージ・ミラー監督インタビュー
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2015/06/post_897.html